印象深い出来事は、ある種の「匂い」に凝縮されて記憶の片隅に潜む。一つの歌が引き金となり当時の匂いが立ち込め、記憶が鮮明によみがえるというのはよくある話だ。
 もう20年以上昔、インド全域を数ヶ月にわたり旅したことがある。聖地ベナレスに滞在していたときのある小さな出来事が、私にとってインド旅行最大の思い出となっている。
 ベナレスの中心部、ラクサ通りに面した安宿の裏庭には中央に花壇があり、その向こうに人力車で生計を立てる家族の住む粗末な小屋が見える。ある早朝の朝焼けの残る頃、私はこの庭に面した通路に座っていた。知らぬ間にすぐ横にじいさんが座ってたばこを吸っている
彼は床掃除だけを仕事にしている人で、昨晩遅く帰ったときには自らがぞうきんのように床に寝ていた人だ。
 たばこを1本あげると、かれはインドの巻きタバコ、ビリを私に差し出した。1本10円以上もする英国産たばこと1円で何本も買える安たばことでは割りは合わないが、「これでおあいこ」といった風情で悠然と私が恵んだつもりのたばこを吸っている。
 その間、言葉も、笑顔のひとつも交わさず、たばこを吸っていると、表通りをガンジス川の焼き場に死体を運んでいく人たちの歌う歌が聞こえてきた。「ラム、ラム、サッタハイ」この瞬間ある匂いが記憶の中に封印された。それは強烈な印象で、この時「インドが分かった」と思ったのを覚えている。分かるといっても頭で理解したというより、「身体が受け入れた」という感じに近い。
 インド・悠久の大地というけれど、人は朝から晩までアリのようにうごめいている。インド入国後2ヶ月たって初めて、日々の喧騒(けんそう)の底をゆったりと流れる時間の通低音を聞いたと思った。2週間足らずのベナレス滞在中、数回、同じ事があった。早朝、裏庭に座ってじいさんと2人でたばこを吸っていると、それを待ってたように聞こえてくる「ラム、ラム、サッタハイ」。しばらくはその旋律をよく覚えていて、思い出す度にあの朝の印象が空気の匂いにいたるまでよみがえっていたけれど、何年かたつうちに忘れてしまった。
 十数年後、数人の友人とインド・ネパールの短い旅をした時、私は再度あの歌を聞きたいと別行動をとってベナレスに飛んだ。同じ宿はもうなく、3日間の滞在中、探し回ったが、再びあの歌を聞くこともなかった。
 記憶は脳細胞の片隅に保存されているはずだが、そこに電気的に到達する神経経路が弱まっている。忘れるとはそういうこと。いつかもう一度ベナレスに行きたいと思っている。
あの歌をもう一度聞くために。

■旅の記憶 ・ 2002年 長崎新聞